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まいど、ナマケモノっす。アイキャッチ用_まごのて西陣ニュース

 

今年の夏は異常に暑かったっすね~、僕みたいなモンにはキツかったっすわ~、普段からあんま動かんのによけと動けんくて。まだまだ残暑厳しいっすから皆さん気いつけて下さい。僕はまだあきませんわ~。

遅れた言い訳を、まぁそんな感じでしつつ七月の報告会の様子をちょいと。

研修委員会橋本主任から、8月は消防署員による救命講習、AEDの使い方等の予定。9月か10月は、PT・OTによる勉強会の予定。

福利厚生委員会近藤さんから十周年記念イベントの無事成功についての謝辞。

虐待防止委員会石田さんから、2年前に発生した「やまゆり園事件」の犠牲に遭われた方々に向けて黙祷を行う。

人事について堤事務長から、職員の森実さんが新訪問事業所の立ち上げを発表。営業エリア等は未定。

今月の賞、原田さん。

自身の「介護職」への決意について、自らの生い立ちを交えて語られた。

私は昭和48年10月に生を受けた時、水頭症が発症していると診断された。後から聞いた話では医師からは命は3ヶ月も待たないかもしれない、と宣告されたとか。幸い、命こそは奪われなかったが、後遺症か知的障害を抱えてる事が判明された。それは、その後の私の人生に多大な影響を与える事となった。母親は、私を一般の人と変わりなく成長して欲しいと願い、小、中、高は、普通学級に通う事となった。しかしながら中学の時、所謂『健常者』のレベルについていけてない事に目をつけた、心ない一部の生徒による殴る蹴る等の酷いイジメを受けてしまった。そんな理不尽な仕打ちを受け続けているうちに、私は『たとえ障害を抱えようとも健常者には負けたないわい!』といった意識が芽生える事となった。以降、これが生きる上での支柱となった。私は15歳から20代半ばあたり仕事をするようになった、主に職種は手書き友禅、ホテルの接客等。当時私は、自分の障害について人に知られたくないがあまり、ひたすら隠し続けていた。しかし24歳頃、公私共々に行き詰まる事が相次いだ事もあり心に疲弊を生じてしまった。それはやがて幻聴に悩まされるまでに至り退職を余儀なくされた、更には精神病院に入院する事となったが医師からは『生涯病院暮らしになるかもしれない』と言い渡されたのである。入院中の私は、そんな非情ともいえる宣告に打ちひしがれ、文字通り泣寝入りの毎日を過ごした。だが、そんな絶望の淵に居ながら、というより居てこそ自分の事を支えて下さる人の思いやりや、私と同等かそれ以上の困難に立ち向かっている人の強さというのを身に染みて感じるようになったのである。そこから私は自身のハンディキャップを受容出来るようになった。受容に覚醒した私は入院中に私の事を世話して下さる人々に注目するようになった、それが介護の世界に興味を抱くきっかけと繋がったのである。生涯病院暮らしも有り得ると言われたが多くの方の支えが実を結んだこともあり2年程で無事に退院する事が出来た。私はお世話になった皆様への恩返しも込めて迷う事なく介護福祉業界への門を叩いたのである。

以上が僕の半生であります。おそらく皆様にとっては『健康で仕事が出来る』というのは当たり前と思われているかも知れませんが、障害を抱えた僕からすれば、それはとんでもなく有り難い事なんです。だから当たり前な事には感謝なんです。正直「病気さえなければ・・・」と自分を責めた時期もありました、しかし今では「障害を抱えている自分だからこそ出来る事がある!」と信じてます。僕はそれを胸に抱き続けて社員を目指し、これからも精進を続けます!皆様これからも宜しくお願いします。

 

ほなまた、おおきに。